IE9ピン留め

ひょーげんしゃ

ひょーげんしゃ、ねぇ。


うまくいかないことはもちろんありますなぁ。


しばしば自己嫌悪に陥ります。

気分のいいときにやった些細なことを振り返っては、自己嫌悪。
たいしたことないのに。


さて、お友達からひょーげんしゃになったら?みたいなことを言われたのだけど、
さらーーーーーーーーっと流したんですが、ひょーげんしたいこともなければ、ひょーげんしゅだいも特にないのでピンと来ないんですよね。

ひょーげんしゃねぇ。。。


かといって、アウトローな生き方しかできない気もします。


わからん。



最近のテレビ番組でおねーという枠組みで多様なセクシャリティが消費されていることについて、ちょびっと書こうと思ったんですがやめときます。

詰めが甘すぎて、論破されそう・・・。

私はどちらかというと当事者的な見方で、ちょっとこれどうなのよって思ってたんですが、
別の視点で考えると全く別の解が出てくるなーと。


やっぱり書こうと思って書き始めたんだけど、予想通りあっめマジあっめ!なのでやめました・・。


ただ、これだけは言いたい。

理解をすること、また求めることってそんなに大事なことですか。

一緒にいたいこと、楽しい時間を共に過ごせることの方が、苦しかったり辛かったりしたときに必要なことなんじゃないでしょうかねぇ。

わりとちゅーしんちにいるから言えることで、これによって排除することになるのかもしれないけれどね。

# by oza-t | 2011-07-17 16:13

近況報告

だいぶ放置したままいたわけですが、久々に更新してみようかと思います。

このブログをご覧になってくださっている方々は、どなたなのか皆目検討がつきませんが、お久しぶりです。

あ、ちなみに皆目検討は使ってみたかっただけです。かしこ。


数名の先輩方のお顔が思い浮かぶのですが、みなさまお元気でしょうか。お変わりはありませんか。
ていうか、見てない、か、な、、、。


最近の僕はと言いますと、壮大なナルシシズムが終演し、粛々と淡々と毎日を過ごさせていただいています。


あまりの自己中心っぷりを思い出して、うあああああっと恥ずかしくなることがありますが、昔のことを悔やんでも仕方ないので(たぶん、自分が言うべきではない)、また自分を耕すような日々です。


自身のセクシュアリティを自覚して、そういった人たちやコミュニティと関わり合うようになってもうすぐ二年です。
一年目は、文明開化みたいに(ま、文明開化がどうなっていたか全然分からないんですが・・・)、うおおおって感じで楽しい楽しい!とまた自己中心的になったり、色々な人間関係で悩むこともあって苦しい苦しい!という、相変わらずめんどくさい感じでした。


が、今年入ったぐらいから信頼できる友達に恵まれて助けられて、よく分からないけど、落ち着いてきたというか、社会との接続を考え始めたという感じでしょうか。


被害者意識や悲観に浸るというのは、自ら周縁化して受動的であることだと思うようになって、自分の至らなさを自分の属性のせいにしているということにも気づいたのです。
そうしたエクスキューズに使うのって卑怯ですな。ぷんぷん。


それと、まー私の性的欲望の対象は男性なんですが、その男性に対して父性とか兄性みたいなものを期待しているな、ということにも気がつきました。
それはどういうことかというと、前述したことと少し似ているのですが、「引っ張ってくれる人」を求めていたわけです。なにかをくれたり、なにかしてくれたり、保護してくれたり。
ということは、私は常に受け身なわけで、責任を負わなくてよい、無責任な立ち位置に自分を置いておきたい、ということも言えるんだと思います。


とまぁ、こういうことを言う場合、昔は「言われる前に自分でdisって他人に言われないようにするため」だとか「懺悔してるので、許して」というのを言葉に乗せていた気がしますが、
今はわりと冷静にというか、冷徹に冷酷に前の自分を客観的に見て書いてると思います。



そうした内面の変化を自分の中で感じてきました。
普通ならもう働いているはずなのですが、そんな青臭い深み嵌っていてズルズルいるわけです。LOVE YOU!


セクシュアリティを考える際、構造的な問題と心理的な問題があるんじゃないかなと思いつつ不勉強なのに無闇にあれこれと言うもんじゃないので、黙っておきます。

僕個人は、心理的なものを構造的な話に乗せていたと思っています。
マジョリティに対する僻みとか妬みとかうらみとかね。

今となっては、個人的には思春期的なアレコレだったのかなと思いますが、
マスとして思春期の問題だけにしてしまうのは、イケナイなと思うわけで。


じゃあどうしたらいいのかなっていうところを探っているわけです。
なんとか形にできたらいいなと思っています。
なんて、ね。
やんないかもしんない。うふふ。←


まぁ言うと、セクシュアルというものを語れる場を作れないかと思うのです。
確かにソーシャルメディアは、個人の内面や事情というものを語り合う場所、共有する場所だと思うのですが、脆いとも思うんですよね。

日常生活の中に組み込めないかなぁと。
ま、デリケートな問題なのでうまくいくかなぁという心配はありますけどね。


ま、そんなところです。


それでは、閲覧してくださった方、特に先輩方お体にお気をつけてお過ごしください。

# by oza-t | 2011-05-18 23:19

姉。


先日下の姉から、年末年始どうするかのメールが来た。

それをきっかけに「ちょっと話そうよ」と電話に。


姉の仕事の愚痴や転職話を聞いたり、自分のことやこれからのことを話したりした。


それで、決めたことは


・年末年始、一緒に料理をして何か作ろう。

・近く、一緒に二丁目に行こう。


だった。

こうした姉を持ってよかったと思っている。






# by oza-t | 2010-12-07 22:45

久しぶりに。

時々、ワッと泣きたくなる時があります。


自分の身勝手さゆえに周りを巻き込んだり、全身が鋭利な刃物のように周りの人や自分を傷つけた時があったのに、

それでも我慢して受けれいてくれた友人やサークルや研究室の人たちのことを考えると、

申し訳なさと感謝で心はぐちゃぐちゃになるときがあります。


どこでこじらせてしまったんだろうと思うけれど、

それはもう昔っからの根強いものがあるなと思います。


常にどこかしら感じていた疎外感や少数派感の中で踏ん張って生きていくことは、

とても辛いことです。


強がることや道化になることで、その場でその場で存在していることを確かめながら生きていく術を身につけてしまったけど、そんな脆い鎧をもう脱ぎ捨てる時なのかもしれません。


流れる川の様に楽しそうにしているみんなを遠めに見て、憧れながら自分を守るために頑として氷のようにいることは強そうで、その実衝撃にはどんどんと脆くなっていくのです。

敵もどんどん増えていく。
だけど、ほんの一人握りの理解者を得たとき、その温度で氷解していく様な感覚を得ます。

みんなに引っ張られて最初はうまくいかなくても、それでも流れを感じる楽しさを教えてくれた人たち、つっかえつっかえでも寄り添ってくれる人たちがいることは、とても嬉しくてたまらないことです。


度々忘れてしまうのは、自分が主流になってしまったときに、少数派を見ることです。


もう少し時間がほしい。
まだまだ自分を守る強さを持つこと、自分を保つことで精一杯。

だけどいつか、誰かを守ったり、手を引っ張ってあげることの強さと優しさを持ちたいと思う。

僕がしてもらったように。

# by oza-t | 2010-10-28 02:25

プライド。


最近、こちらに移動しつつあります。

Twitter::  http://twitter.com/bubbles_of_days

Tumblr::  http://ozwtkk.tumblr.com/



思っていることを素直に友人に話したら、受け入れてくれました。

嬉しかった。

とてもとても怖かった。



前のエントリーで、カミングアウトについて書きましたが、
最近カミングアウトをする必要性を感じなくなったのは、
内面化されていたホモフォビアが多くの友人のおかげで氷解したからでしょうか。

ゲイであることがさほど自分にとってコンプレックスではなくなった、
のだと思います。

セクシャルマイノリティに限らず、マイノリティは不安感を覚えるものです。
受け入れられるかどうかで。

幸いにして受けれいてくれる友人、かつ情緒不安な自分も受け入れてくれる友人がいる。
ゲイをコンプレックスとしていたけど、それを転化してプライドとして生きる。
ゲイの良い友達が出会ったり、触れることはなかった世界に触れることができたり。
どの世界にいてもつらい事はある。
やりきれないこともある。
だけど、それだけじゃない。
楽しいことがもちろんある。嬉しいことがある。
生きていてよかったと思える時がきっとある。

出会いに恵まれた。
有難い。
プライド、自尊心を持って生きる。

# by oza-t | 2010-07-19 10:20

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