「一日の始まり」に思う
2024年 04月 23日
床から起きるとき、「あぁ今日も一日生かされる、有難い」。時々そんな思いをもって起きることがあります。
朝のルーチンの始まりです。一通りのことを済ませて、仏壇にお茶と清水をささげてお参りです。
我が家はご先祖様から日蓮宗の信徒なので「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えます。
(日蓮宗といっても創価学会とか立正佼成会などの新興宗教ではありません)
毎日が日曜日の生活なので、今日の日にちと曜日は間違えないように意識していますが、時々「今日は何日? 何曜日だっけ」と確認することがあります。いやになります。でもしょうがない・・・
昭和29年に逝った父親の年齢を越え、長く生かされて長寿社会を構成する一人になりましたが、そういう実感は日々の生活の中でも時々感じます。
ただ体の機能の低下は否めません。医者通いと服薬は欠かせず何とか健康を保っていますが、周りを見てもまず医者に掛かっていないという友人はまず居ませんね。
もう昔になりますが、お年寄りの先輩方を見ていて、あんなに薬を飲んで大丈夫なのか、七錠も八錠も飲んでいて…と思っていたことが、今わが身がそういう状態です。
時々大怪我もします。硬膜下血腫では、二度頭に穴をあけ溜まって脳を圧迫する血種を取り除きました。
胸部打撲は何回あったか、X線で見てもいくつもその痕跡が指摘されます。
先日も転倒して左肩強打で鎖骨にひびが入り、その影響で体全体の機能が低下し、他の部位に影響が出てきました。MRIを撮ったり、リハビリでは新しいメニューで来月から施術することになりました。
気持ちの意識より、体の肉体のほうが年齢相応にガタが来ているのでしょう。
現在46回の実績の里山を歩く会の世話人もいつまで続けられるか。気になるところです。何とか50回までは達したい。
一日の積み重ねがあり今日がある老いは老いとし負けずに前に
by satoyama13
| 2024-04-23 16:37
| 生活
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